【ハンギョレ翻訳】韓国独裁政権の時代のありえない人権蹂躙、分断の現実 | ANTIFA★黒い彗星검은혜성  だにえる단열の一言。

ANTIFA★黒い彗星검은혜성  だにえる단열の一言。

韓国籍在日朝鮮人3世、いわゆる「在日コリアン3世」のだにえる단열が大好きな『日本』について書く、そんなブログです。
ANTIFA★黒い彗星CHE★gewaltの新しい一歩のブログでもあります。いつまでも大切だよ。

南北の分断により、南の大韓民国の国家権力と軍部の力、そして分断体制を言い訳に民衆を苦しめる圧倒的な法権力の横暴と蹂躙、殺人があったことを記憶しなければならない。
日本の民衆はこの悲劇をただ悲劇に思うのではなく、有事を言い訳に国家権力と軍事力がつよくなればつよくなるほど、このような私たちの〈生命〉と〈自由〉は脅かされる。
そして、そもそも国家権力と軍事力は、生命を守ることを目的としていないということ。
潜在的にもそのような力があるということ。
さらに〈平和国家〉日本でさえ、米軍基地の存在、沖縄に一方的に押しつけて、植民地主義が生みだす悪しき構造のなかで、抑圧と犠牲を求めて、外国の戦争に協力しながら、〈平和〉という感覚を共有できたことを忘れてはいけないと思う。

1955년 북파 공작원 된 뒤 북에서 체포
아들 때문에 돌아와 자수했지만
육군, ‘위장 간첩’ 누명 씌워 사형
법원 “군, 위법 수사…3억 배상하라”

1955年北派工作員になった後、北で逮捕
息子のために戻ってきて自首したが、
陸軍、「偽装スパイ」という濡れ衣で死刑
法院「軍、違法捜査・・・3億ウォン賠償命令」





‘북파 공작원’들을 소재로 다룬 영화 <실미도>의 한 장면. <한겨레> 자료 사진
「北派遣工作員」たちをモデルに描いた映画〈シルミド〉のある場面


1955年6月、シム・ムンギュ(当時30歳)さんは陸軍諜報部隊に採用され「北派スパイ」として訓練を受け、その年9月に北へ潜入した。当時シムさんの6歳になった息子は父に会いに、母方の叔母とともに、江原道ファジンポにある部隊を訪れたが、父は北へ送られた後だった。部隊では子どもを家に帰さず、「北派工作員」として育てるといい、1年半の間、射撃訓練、規律訓練、水上訓練などをさせた。

朝鮮人民軍(原文:北韓軍)に捕まったシムさんは息子が軍で工作員の訓練を受けていると聞かされる。息子を救うには南に帰らなきゃいけないので、彼が選択できる道は転向して「南派スパイ」になるしかなかった。1957年10月南へおりてきたシムさんは息子が軍から解放された事実を買う人し、この日すぐに陸軍に自首した。しかし、陸軍は「偽装スパイ」として、彼を起訴し、中央高等軍法会議は、1959年12月死刑を宣告した。2年後、死刑は執行されたが軍はこの事実を家族たちに教えないまま、シム氏の遺体を火葬した。

父の行方を探してた息子は45年が過ぎた2006年になって初めて、政府から父が処刑されたという報せを受けた。息子は父の濡れ衣を晴らそうと奔走し、2009年「真実・和解のための過去史整理委員会」から真実究明の決定を受けた。息子は再審を申請し、裁判部は自首した彼の父が563日間不法に監禁されながら審問を受けたことを認め、偽装スパイだと認定するほどの証拠が不足しているとして2012年に無罪が宣告された。

そして、シムさんの息子はこれを根拠に国家を相手どり損害賠償訴訟を起こした。ソウル中央地方法院民事48部(裁判長キム・ヨンハ)は今月8日、「陸軍が国家権力を利用し違法な捜査と裁判をし、過酷行為を行った」として3億ウォンの賠償するよう判決を下した。


1955년 6월 심문규(당시 30살)씨는 육군 첩보부대에 채용돼 ‘북파 간첩’ 훈련을 받고 그해 9월 북파됐다. 당시 심씨의 6살짜리 아들은 아버지를 보러 외숙모와 함께 강원도 고성군 화진포에 있는 부대를 찾았으나 아버지는 북에 보내진 뒤였다. 부대에서는 아이를 집으로 돌려보내지 않고 ‘북파 공작원’으로 키우겠다며 1년 반 동안 사격훈련, 제식훈련, 수상훈련 등을 시켰다.

북한군에 붙잡힌 심씨는 아들이 군에서 공작원 훈련을 받는다는 소식을 들었다. 아들을 구하려면 남한에 돌아가야 했는데, 그가 선택할 수 있는 길은 전향해 ‘남파 간첩’이 되는 수밖에 없었다. 1957년 10월 남한으로 내려온 심씨는 아들이 군에서 풀려난 사실을 확인하고 이튿날 바로 육군에 자수했다. 하지만 육군은 ‘위장 간첩’이라며 그를 기소했고, 중앙고등군법회의는 1959년 12월 사형을 선고했다. 2년 뒤 사형이 집행됐지만, 군은 이 사실을 가족에게 알리지 않은 채 심씨의 주검을 화장했다.

아버지의 행방을 찾던 아들은 45년이 지난 2006년에야 정부로부터 아버지가 사형당했다는 통보를 받았다. 아들은 아버지의 누명을 벗기겠다며 백방으로 뛰었고, 2009년 ‘진실·화해를 위한 과거사 정리위원회’에서 진실 규명 결정을 받았다. 아들은 재심을 신청했고, 재판부는 자수한 그의 아버지가 563일간 불법 구금돼 심문을 받았으며 위장간첩이라고 인정할 만한 증거가 부족하다며 2012년 무죄를 선고했다.

심씨의 아들은 이를 근거로 국가를 상대로 손해배상 소송을 냈다. 서울중앙지법 민사48부(재판장 김연하)는 지난 8일 “육군이 국가권력을 이용해 위법한 수사와 재판을 했고, 가혹행위를 했다”며 3억원을 배상하라고 판결했다.
이경미 기자 kmlee@hani.co.kr


http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/646664.html

分断を生きる、すべての同胞たちへ。
私たちは、イデオロギーというよりは圧倒的な植民地主義の継続と
物理的な侵略による分断の上に生きている。
それは象徴的にも、実際的にも北と南という二つ祖国がさらに外部によって
引き裂かれ続けるという民族の分断にほかならない。
いま考えるべきは、分断の歴史と現実のなかで、このようなある親子の悲劇が、いや分断による犠牲、人権蹂躙が起きたことを記憶し、忘却しないで応答していくことであると思う。南の独裁政権時代の横暴と残虐的な犯罪を徹底的に追及する責任がわれわれにはあると思う。
だから、自由主義経済とアメリカの覇権的植民地主義の上で、血を流しながら勝ち取った限定的な民主化による〈自由〉の上で、あるいは旧帝国による弾圧と差別と同化に抗った代償としての〈自由〉の上で、資本と貧困構造による植民地的な離散によって、現在手に残った〈自由〉の上で、二つの祖国が対等で自主的な民族和合と統一を導けるように、私たちの身の周りから働きかけることこそが、分断克服と、私たちが共有する民族性(民族的アイデンティティ)とその歴史性への応答責任だとつよく思う。
勝ち取るために。見つめて、歩んでいる方向だけは同じでありたい。