【儒教的抑圧からのゆるやかな変容へ】伝統通りなら名節料理は男性が準備しなきゃ | ANTIFA★黒い彗星검은혜성  だにえる단열の一言。

ANTIFA★黒い彗星검은혜성  だにえる단열の一言。

韓国籍在日朝鮮人3世、いわゆる「在日コリアン3世」のだにえる단열が大好きな『日本』について書く、そんなブログです。
ANTIFA★黒い彗星CHE★gewaltの新しい一歩のブログでもあります。いつまでも大切だよ。

現代韓国社会や同胞社会では、今でも根強く儒教的強迫観念として家族の中の女性を苦しめるものとして、祭壇料理の準備がある。韓国でも、同胞社会でも、もっぱら準備は親族の女性が準備し、正月などの名節やチェサ(祭祀)において、男性は久しぶりの親族の再会に、酒を飲んだり、花札をしたりする酷い例もあるらしい。そして、昔の観念のままの一世などは、男は台所に入るべきではないと考える人々も多い。また、名節や祭祀の日が近づくと憂鬱になる同胞女性も多くいると聞く。日本のフェミがこれを指摘して茶々を入れて来た時は、びっくりしたが、、、

今回紹介する記事をみれば分かるが、本来、伝統の心を受け継ぐには、祭壇の料理は両班の男が準備するものであると味コラムニストのファン氏は強調する。そして、何よりも形式に囚われ旬を迎えてないまずい料理を祭壇に挙げるのではなく、故人が好きだったもの、旬に合うものをあげるべきという。さらに儒教が国教でもないので、先祖を敬う心で、自由に祭壇を準備したり、遊べばいいという。

これは今まで、韓国や同胞社会が、儒教的な強迫観念から両班の真似事をして、作り上げた悪しき風習として変化しまったのがより同胞女性を抑圧し、家事を一方的に押し付けるような価値観が家族の中に生れて固定的になってしまったことに対して、見事にそれを解体するような、考え方を私たちに開かせてくれる。

ファン氏の主張通りなら、まず心が大事であり、どう名節や祭祀を過ごすかは各家庭の自由であるべきだし、一方的に女性を苦しめたりするものではない可能性を開いてくれる。家父長過ぎるものは、いくらでも同胞社会から変容可能であるということだ。

少なくとも、現在の祭祀や名節の茶礼に囚われた同胞の家庭ではいきなり変化するのは難しくとも料理を準備する女性が男性であったり、女性が祭事を仕切って、祭事に参加したりもできるはずだ。

そして、もう少し、柔軟な考えで民族をもう一度考え直す必要もあると思う。朝鮮末期の当時の両班は、人口の10%しかいなかった。私たちのほとんどは、結局儒教的な価値観に囚われて、両班の真似事をしているに過ぎない。だから、民族の伝統は、その心の芯を忘れなければ、いくらでも変容可能であり、そうしながらも民族の心を忘れない環境を後世に伝えるべきだと強く思う。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
『伝統の通りならば名節の食べ物 男が作らなければ』-韓国メディア、オーマイニュース-
〔祭壇の再構成③〕コラムニスト ファン・キョイク 『先祖を記憶する趣旨が重要』
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002025525&PAGE_CD=ET000&BLCK_NO=1&CMPT_CD=T0000

2014年8月27日

『先祖を讃える方法はいくらでも多様にすることが出来ます。仏教ならば仏教式、イスラム教ならばイスラム式、カトリック信者はミサを差し上げればいいということで。各自亡くなった方々が好きそうな食べ物を揃えて好きなようにすれば良いのです。それが本当に正しくなされた伝統です』

去る17日京畿道一山のあるコーヒー専門店。彼が秋夕(以下チュソク)の祭壇が何故まずくならざるを得ないのか説明をし出すと、直ぐに周辺のテーブルに座った人々の視線が一つ二つ集まり始める。ノートブックの前に座った記者の背中にも一緒に視線が注がれた。「食べる話」専門家、ファン・キョイク味コラムニストだ。
ファン氏は韓国人がチュソクを非常に誤解すると説明した。「紅東白西・魚東肉西・左脯右醯・棗栗梨柿」で代表されるこの頃の五行巨大なチュソク祭壇はやはり儒教伝統とは合わないと指摘した。彼は伝統だと主張する根拠が希薄な食べ物で膳を調えて、それもまずいところだけを選んであげる現実を皆一緒に考え直してみる必要がある」ともした。


ファン・キョイク味コラムニスト황교익 맛칼럼니스트

『祭壇構成執着しないでチュソクを何故過ごすのか考えてみなければ』

今日韓国家庭で調えるチュソク祭壇は概して似ている。一番後列にはご飯と汁物、餅、松餅(ソンピョン)が置かれる。最前列には油菓、棗、栗、ナツメ、リンゴ、干し柿(または柿)などが上がる。この間に三種類のプッチムゲ(⋆1)とナムル、汁、韓国式甘酒(シッケ)、魚の干物、魚、串焼きなどを追加すれば、ある程度調えられる。
多様な食材を使ってみたら、金銭の負担も大きい。政府で出したデータによれば毎年20万ウォン内外だが、知り合いが集まる食卓まで換算すれば実際の予算はその2~3倍を超える。ファン氏は「皆一緒に集まって先祖を記憶して旬の食べ物を食べるというのがチュソク祭壇の趣旨なのに今の祭壇はその趣旨に全く合わない」と批判した。

―今年チュソク上は伝統市場ですれば19万3384ウォン、大型流通業者を利用すれば27万4753ウォン程度という。
「20万とは何事か。我が家だけでも祭壇を一度調えて、知り合いと食事を一度するには40万ウォンは滑稽に映る。儒教伝統によれば祭壇がこのように派手で高い理由が無いのに趣旨に合わない食材が挟まっていて高いのだ」

―どんな品目がそうなのか。
「チュソク祭壇は旬の食べ物を先祖神に捧げることだ。ところで実際に食膳を見れば、旬の食べ物がほとんど無い。ホウレンソウは冬野菜で、チュソクの頃に出てくるので味が無い。干し柿は1月になってこそ出てくるもの、ナツメに至っては11月以後にならないと出ないので、祭壇に上がってくるものはどれも去年のものだ。
 ワラビ、やはり春に取って乾かして置いたものを使う。夏が過ぎるまで乾かしたので香りが出ず、キキョウや白菜に至ってはやはり今は味気が無い。7月~9月初旬は肉の弾力が無くなり、味も粗雑だ。本当にまずいものなどだけを載せて食べるわけだ。」

―それでも伝統食膳ではないのか。
「そうではない。祭壇は儒教の祭事礼法によってあげることだが、祭事基本原則を定めておいた『朱子家礼』には乾物・果物・野菜とまだこのような形にだけ書いている。具体的にリンゴ・梨・柿、このように使わないでいる。そのまま果物をあげればいいということだ。祭壇に必ずあがるリンゴ・梨のような果物は伝統とは全く関係が無くて、チュソクとは節気も合わない果物だ」。

―リンゴ・梨はチュソク前に新しい果物が出荷される代表的な品目だ。
「チュソク前に出荷することは、生長促進剤を使って人為的に早く育てたものだ。味と質が落ちる。梨が特に激しいが韓国で主に育てる新高梨はチュソクが過ぎてひと月ぐらいあってこそ熟す。色々な面で旬の食べ物とは縁が遠い。チュソク『大きな課題』のために産業構造自体が歪んだわけだ」。

―旬の果物というのはどんなものを指すのか。
「今年のような場合は露地スイカ、ブドウ、桃のような果実が旬だ。この頃白桃が本当に美味しくなる時期ではないのか。民間では桃がお化けを追うと言ってタブー意識があるが、それは儒教のタブーではなく、民間のタブーだ。本当に先祖を讃える意図ならば、亡くなった方が好きだった食べ物をあげるのが最も重要だと見る」。

―私たちの祭壇が誤っているということなのか。
「そうだ。本来祭事、茶礼(チャレ⋆2)は両班だけがしたことだ。舊韓末身分制度が無くなって、両班では無かった人々も法事を行うことになったが、このような人々の混乱を避けるために言論や国家で具体的に広報したこと「紅東白西」とか「棗栗梨柿」などをすることだ。どの本にもこうしたことが別に定められてはいない。ことわざにも「柿置け梨置け」という話があるではないか。「大きなお世話をする」と言う意味だ。考えてもみてくれ。ある家は「棗栗梨柿」が合うと言って、またある家は「棗栗柿梨」が合うというが、梨と柿をどんな順序で置くことが先祖を讃えるにあたって、そんなに重要なことなのか(笑)」。

―それなら儒教の伝統的なチュソク祭壇はどのように構成されるのか。
「チュソク祭壇には旬の食べ物に、私は食べ物を数種類あげれば足りる。リンゴ、梨をあげなくても構わない。重要なことは形式ではなく、先祖を記憶しようとする心だ。祭壇構成に執着するよりは私たちがチュソク名節を何故過ごすのか、その趣旨をもう一度考えてみる必要がある。伝統を好む男たち、チュソクを正しくするには女たちに名節の食べ物を作らせてはいけない」。

―女たちに食べ物を作らせてはいけないというのか?
「朝鮮時代の時、祭事の食べ物は皆男が作った。その代り茶礼に女たちは排除された。ところで今は名節の苦労は女たちが全てして、男たちは祭壇の前で恩着せがましくするのではないか。これも根本を探してみることは出来ないおかしな風景だ」。


『男 追いかけていく人生…食べ物の文化にもそのまま表れている』


ファン氏は「チュソクはただ夜に月が大きく開いて秋が始まる『遊びやすい日』としながら、『チュソクと似た中国の中秋節も』ただ楽しんで遊ぶ日」と説明した。続けて韓国人だからと言って、チュソク祭壇について強迫を持つ必要が無いと説明した。韓国が儒教国家でもなくて、先に亡くなった先祖を讃えるには多様な方法があるということだ。それでも全国民が毎年このような祭壇を調える風景に対しては「(国民が)主体的に人生を決めるよりは常に集団が要求する人生に合わせて生きてきたし、そこに慣れたためだ」と分析した。続けて「貧しい人であるほどこの日だけはある膳を調えなければならないという負担を感じている」と指摘した。


―それではチュソクは何をする日なのか。
「そのまま遊ぶ日だ。夜に月も大きくて秋も間もなく始まると天気もいい。私たちの民族は前から遊ぶことが好きだったのではないか。中国の中秋節もそのまま楽しんで遊ぶ日だ。チュソクが何をする日だと考えるのか」。

―収穫を感謝をささげる意味があるのではないか。
「チュソクは秋の収穫物が出てくる前である。韓民族に一番重要なのは米であるのに、新米はチュソクにはまだ出てこないではないか。秋の収穫感謝祭を探せば、米の収穫以降を名節に決めなきゃいけないだろう。チュソクの祭壇に新米を置くにはとても早く実る品種を別に植えたり、あるいは種を手で掘って出して、精米してから置くことになる。」

―それではその家ごとに独自の方法でチェサをして、親族どうし楽しく遊べばいいのか
「そうだ。 チュソクに先祖を称える時、家ごとに茶礼(チャレ儀式)をあげることもまた考えて見る必要がある。チャレは儒教伝統なのに、ここに含まれるのは両班たちだけだ。 朝鮮時代初期の両班は実は全体人口の 10%に過ぎなかった。だから残り 90%は他の方法を使っても良い。 あの世に逝った方々を記憶し、讃えるのは、私たちだけではなく世界すべての国で共通的に発見される文化だ。チャレもこの延長線上にある一つの方法に過ぎない。」

―どうして全国民がチュソクの度に同じ祭壇料理を準備していると思うか。
「歴史的に私たちは近代市民意識を持った時がない。 各々が生の主体にならなければならないのに、そんな経験がないのだ。いつも集団が要求する生に合わせて暮して来たし、それが慣てしまっている。 他人がすることを追い掛ける人生。それが食べ物文化中にもそのまま現われていると思う。」"

―チュソクにチャレをしないで海外旅行出る人々も多いが、どう思うか?

実は経済的余裕がある人々の中で多数が、名節のチャレを過ごさずにいっしょに外国へ遊びにゆく。 元々風習や文化というのがの上から変わって下に徐々に降りてくる。 チュソク · お正月の祭壇に対する強迫観念も庶民層で一番力強く作動している。庶民であればあるほどこの日だけは祭壇のお膳をととのえなければならないという圧迫を持っているのだ。」

―政府もそんな人々のために毎年秋夕祭壇の指針を発表する。

「とても問題があると思う。今は儒教社会でもなくて韓国は国教がない国だ。 儒教国家ではなければ儒教式を捨ててもいい。それなのに政府が毎年その年のチュソクのお膳の見積りを公式報道資料で出すことは、暗黙的に 『こんな風に祭壇のお膳をととのえてください』、 『こんなに祭壇のお膳をととのえなければ大韓民国人ではないかもしれない』'という感じを与えるかもしれない。」

―今年はりんご ·梨· 栗 · 牛肉など 28個品目の価格を秋夕半月前から点検している。
「そんなこと自体が秋夕祭壇に上がることができる食べ物品目を限定する効果しかない。 りんご, 梨の価格を管理すると言うから人々脳裏には無意識的に 『あれは祭壇に必ず上がらなければならないこと』という認識が生まれる。 もう一度言うが旬を迎えた果物をおけばいいし、心が重要だ。」

―あなた家はどのような秋夕を送るのか。
「韓国は長孫中心の社会だ。 私は家で末っ子だから、発言権が弱い(笑)。 ずっと話をしてはいるが 「昔の方式どおりしなければ周辺で後ろ指を差すだろう」という意識がある。『先祖も敬わない』と後ろ指さされることに対する恐さがあるのだ。私もそうだ。それでも変えなければならない。 今度、秋夕が私の生や行動に対して主体的に悩んで見るきっかけになればいいと思う。」



伝統的なチャレのお膳
{EEC29745-FD07-485C-91AE-DA82405838F8:01}

左から順に
屏風
1列 ツリガネニンジン トックク(正月)/ソンピョン(チュソク) 匙楳(箸とスプーン)
神位(紙榜)トックク/ソンピョン ツリガネニンジン

2列 煎油魚 煎油魚 肉炙 煎油魚 魚炙

3列 燭台 肉湯 素湯 醤油 魚湯 燭台

4列 脯 三色ナムル 沈菜 生菜 シッケ類

5列 なつめ ご飯 梨 柿 りんご 菓子類

          西側 線香 祭酒 杯 酒盒 東側



プッチムゲ(※1):パジョン(ねぎのチヂミ)などのチヂミ類
チャレ(茶礼)(※2):茶礼(チャレ)は正月、旧正月や秋夕(チュソク)といった名節(ミョンジョル、民俗的な祭日)の朝にされる、先祖の霊を迎え入れるための祭礼

◎茶礼とチェサ(祭祀)の違い
茶礼と似たものに祭祀(チェサ)があります。祭祀とは、広くは神や祖先を祭る儀式のこと。その意味では茶礼も祭祀の一種といえますが、一般に祭祀というときは、故人の亡くなった日に開かれる法事・忌祭祀(キジェサ)を指します。茶礼と内容はほとんど変わりませんが、忌祭祀は深夜に、茶礼はソルラルや秋夕の朝に行なわれます。

茶礼など朝鮮半島の祭壇の料理を詳しく知りたい方は↓のリンクを参照してください。


協力:倫梨